喪失の哀しみ2009/04/19 08:27

 私どもの人生において、何が起こるのか、分からない事が多いように思います。計画を作り、目標に向かって、前進、努力する事は大切な事です。私ども人間には、自由が与えられており、いろいろな場合に、自らの意志で、選択することも、尊重されています。
 しかし、どんな計画も、どんなに努力しても、思い通りにならない事もたくさんあります。
 こんな会話を読みました。「山形はどこにありますか?」 「日本にあります。」 「日本はどこにありますか?」 「アジア、世界の中にあります。」 「世界はどこにありますか?」 「宇宙の中にあります。」 「宇宙はどこにありますか?」 「神さまのみ手の中にあります。」
 人間の知恵では計り知ることの出来ない出来事が起こります。たとえ、その時、人には、理解できない事でも、委ねなければならない事があるということです。
 ごく最近の出来事です。40代半ばの女性が、旅行に出かけました。元気に働いていた会社員の夫が、朝、心筋梗塞のために急に苦しくなり、救急車を呼び、病院にいきましたが、間もなく、亡くなりました。想像も出来ない急な出来事に、妻は、夫の死に立ち会うことも出来ませんでした。旅先で知らされた夫の死に、彼女の悲しみ、その喪失感は、どんなに、身近な人でも、理解したり、支える事の出来るようなものではない程、大きなものだと思われます。神さまからの慰め、支え、癒しを求めて、祈るだけです。 こんな時、どんな慰めの言葉があるのか、私には分かりません。神さまのみ手に、委ねる以外にありません。
 エンディングに備えよと、言われますが、先ず、人生そのものを委ねることから、始めなければならないのでしょうか。