なぜ歩くのか2018/08/31 08:55

  今日は、8月の最終日です。そろそろ、猛暑の心配はなくなるのでしょうか。
  前線か南下してくるため一日雨模様です。庄内、最上は大変な豪雨になっているようです。
  朝の気温、21.6度、日中は、28度の予想です。
  千歳山のお散歩、雨模様の日が続いています、今朝は山人、15人、時々、雷の音が聞こえますが、遠くの方でした。

  妻が、先日、若い牧師さんから、「島貫はなぜ毎日千歳山に登るのか」と訊かれたとのことです。
  何と答えるのが良いのか、私にもよく分かりません。
  生きているから、美しく手ごろな里山がそこにあるから、生活の中に組み込んでいるからでしょうか。
  千歳山は標高471m、赤松が中心、灌木や山野草も豊富、季節ごとにいろいろな花を楽しむことが出来ます。近い所も、遠くの方も展望がよく、その美しさ、絶景に感動することがしばしばです。山人たちとの出会い、千歳山で出合った友人、知人は、100名を超えているのではないでしょうか。
  毎日歩くのは、「趣味」とは異なるようです。若い時、とは言っても50歳近くなってからですが、殆ど単独行で、あちこちの高い山に登りました。それは確かに趣味であり、冒険であったと思います。しかし、千歳山の散歩で、登山をしているつもりはありません。
  何か目標を立てて、達成感を味わうということでもありません。20年間余、毎日歩き続けて、結果として、7000回を超えたようです。
私は宗教者ですから、祈りの生活の一部を、その中に取り入れています。そういう意味では、宗教者の修行の一つかもしれません。
  道元禅師が、座禅を勧めて、「只管打坐」(しかんたざ)という言葉を残しています。ただひたすらに座る修行のことです。
  私も、毎日、千歳山のお散歩、ただひたすらに黙々と歩き続けているのです。